保坂耕司です。保坂兄弟の日々の出来事をお送りいたします。兄の保坂学と弟の保坂耕司の日常など色々な世田谷情報をご共有していきます。
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保坂耕司です。 今日は私の歴史をお話ししていきます。
私は幼稚園の頃からずっとサッカーが好きで23歳まで本気でやってきました。
勉強はできる方ではなかったので小学校、中学校はオール3のような成績で勉強への努力や情熱は一切ありませんでした。 勉学に勤しむ真面目な少年とは程遠い幼少期と言えますが、全ての情熱はサッカーへと注いでいるような活発な少年だったと思います。 小学生の頃にはJリーグが開幕されプロサッカー選手を夢見る少年といったところでしょうか。
面倒をみてくれた近所のよくお兄ちゃんが入っていた地元の少年サッカークラブへ通うようになります。
兄の保坂学も同じくサッカーを始めており、サッカーにのめり込んでいくようになりますが、まだ園児だった自分はただたくさんの人と一緒に遊んでいるような感覚だったのかもしれません。
幼稚園ではすごく良い子にしていましたが、プライドの高さなどはその頃からあったと記憶しています。
泳げないくせに足をつきながら泳げるフリをしたりw
厳しい幼稚園で昼食を完食できないとお昼休みがありませんでした。今では体罰になるんでしょうね。いつまでも嫌いな食べ物を箸でつついていましたね。床に落として遠くへ蹴り飛ばすといった荒技も使いましたが、さすが大人の目は誤魔化せず先生に怒られました。
記憶は定かではないのだが、幼稚園に入園する頃に引っ越ししたと思います。
ボロボロの賃貸住宅。木造の土壁。そして格好良く言えばテラスハウスタイプ。
そんな賃貸住宅だとは幼少期の自分は理解できるわけもなく、新しい家は楽しくとても嬉しかった事を覚えています。。
地域一体は昭和の古き良き時代が根付いている雰囲気。ご近所とも仲の良い地域性で過ごしやすいところだったと思います。
近くには大きな相模川という一級河川が流れていました。
小さい幼稚園の頃は危険だし、足場は整備されていない石がゴロゴロしているような場所だったので、あまり記憶にはありません。
本当に家の周りの近所で遊んだし、隣の家は年齢が一個上の歳が近かったので良く遊んでいました。
地元の小学校で週に2回練習日のサッカーチームへ入りました。
親はピアノだったり他の習い事も進めてきました。今ではやっておけば良かったと後悔していますが、ピアノなんて男がやるものじゃない!と断ったそうです。
小さな頃から音楽に触れていればもっと豊かな感性の持ち主だったかも?しれませんね。
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